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行程表 熊野街道ジャーニーラン
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熊野街道とは
感想&完走文
感想 & 完走文
2002.12.29 〜 2003.1.1

 

秋頃にいただいた100マイルクラブの大会要綱。どれか私向きのイベントはないだろうか、、と早速、目を通す。あった、あった。

『熊野街道ジャーニーラン』だ。『これ、楽しそうやと思わへん?1日目と2日目が80キロでしんどそうやけど、3日目以降は距離も減るし。どない?』とマッちゃんをそそのかす。

マッちゃんの仕事の都合も考え、数日悩んだ後、申込み。正確に表現するなら、数日間かけて、マッちゃんを説得したというべきか。最初に案内をみた時点でWandaの心は99.9%参加するぞ、と決まっていたのだ。

『寒いやろから、薄手のフリースは持っていかなあかんで。 ユニクロで780円ぐらいで売ってるやつや。ほらっ、これこれ』と自分のきているフリースを見せてくれるOさん。

『横井さんが後半2日間、サポートにきてくださいますよ。 野武士風の方です。最近ちょっと飲過ぎですが楽しい方 なので、お話して下さい』とYさん@神奈川県。

『熊野、分割で走ったけど厳しいコースだったよ』とネットで知り合ったSさん。あちらこちらの方から、励ましのお言葉やらアドバイスやらをいただき、分厚い詳細地図も届いて初めてのジャーニーランへの不安と期待が高まる。


■12月29日■

集合時間に遅れないよう早目に家を出たため、集合場所に到着したのは5時50分頃。集合場所は、天満の駅をあがってスグの八軒家船着場跡。でも、実は場所がはっきりわからなくて10メートル位、行き過ぎてしまう。ガードマンみたいな人にきいて『あった、あった!』やっと発見。
熊野街道の起点であることを示す道標と石碑があるが、小さな昆布屋の店の前で気をつけてみないと見過ごしてしまうような場所だ。事実、ここは何度も通ったことがあるが、こんな道標があったことはこの時まで知らなかった。まだ、参加者は誰もいない。じっと待つにはちょっと寒いので、写真だけを撮って駅の方に戻ることにする。

駅への入り口のところで、道の反対側を歩く村井さんらしき人を発見。呼び止めてみるとやっぱり村井さんだった。村井さんとお話するのはこれが初めてだったが、阪本さんやシューさんから噂はきいていたので話がはずむ。村井さんも誘って駅の改札の方へ戻ると服部さんが改札の内側から出てくるところだった。服部さんは、昨年の『太陽の道』以来の再会。適当な時間までここにいましょう、と言いながら話をしていると阪本さんが呼びにきてくださった。(呼びにきていただいてすみません。)

上にあがると、参加者の玉本さんや山田(慎)さん以外に、突然参加の長尾さん、玉本師匠を送ってこられた(?)山上さんに関根さんがいらっしゃってさっきと違ってすっかり賑やかになっている。

『え〜っ? 長尾さんも参加されるんですか?』
『今日だけ、今日だけ。見送りや。』
『そんなん言わんと一緒に最後まで行きましょうよ』

関根さんは、みんなの荷物を積み込み、阪本さんは今回のジャーニーランのためにつくった黄色いウィンドブレーカーを配っている。このウィンドブレーカー、めちゃくちゃ優れものでこのあととても重宝することになる。

そんなスタート前の慌しさの中、東海道に参加される方が集合場所に行かれる途中に、熊野組の激励 + 見送りにきてくださって賑やかさが倍増。

『東海道より、こっちのほうが楽しいですよ♪』
『いやいや、東海道のほうが楽しいよ』
東海道のスタート地点は、ここからわずか100メートルほどいったところで、スタート時間は午前7時の予定だという。

そうこうするうち、参加者全員が揃ったので記念撮影。お見送りの長尾さんも一緒に9名で予定通り6時30分頃スタート。すぐ最初の角を曲がると熊野街道の道標があった。こんなところにこんな立派な道標があったなんて知らなかったと皆で驚く。比較的新しい道標みたいだけど、NHKの朝ドラマ『ほんまもん』のお陰で建てられたものかな?

谷町筋に出て南下。堀越神社(5.3km)で最初のエード & お参り。山上さんも暫く一緒についてきてくださるようで、楽しい。天王寺、阿倍野、住吉はマッちゃんの昔の生息地域だったようで、『懐かしい〜!』を連発。そうそう、住吉のちんちん電車が走る辺りは漫画サザエさんの夫、マスオさんの実家があるところらしい。

大和川を渡り、堺を南北に貫く大道筋(起点)へ。ここは高野街道、紀州街道、熊野街道(小栗街道)、長尾街道、竹内街道などの街道が交わるというか、起点となるところのようで説明の看板が建てられている。いろんな街道があるんやねぇ〜 と言いながら記念撮影 & エード休憩。

大鳥神社(大社)前を通って更に南下。こまめにエードをしてもらいながら正午頃、半田一里塚(35.2km)に到着。カップラーメンと肉まんを出してもらってお腹は大満足。
でも、『何処まで一緒に行ってくれはるんですか? 海南市までですよねぇ?』と言いながらついてきてくれた山上さんとはここでお別れ。山上さんは仕方ないが長尾さんもここでお別れすることになり淋しい。さらに、村井さんの膝の調子が悪くなりサポーターに転身。

この半田一里塚での休憩のあと、集団が少しばらける。私はマッちゃんと真理子さんと一緒だったが南近義神社のところで少し道に迷い、地図から逸れた道を通ってしまったが、真理子さんのお陰で正しい道に戻ることができた。いつもなら道を間違えて、たくさん走る羽目になれば悲愴になるのだけど今回はあまり悲愴にならなかった。ちょっとだけ山田米重さん化してきたのだろか。村井さんのお出迎えを受け、程なく佐野王子に到着(エード)。この佐野王子、本当に僅か(10メートル位?)ではあるが脇に入るので見つけにくい。関根さんと真理子さんも下見のとき、見つけられなくて何度も何度も探したと教えてもらった。佐野王子で服部さんと合流し、ここからは服部さんを加えた4人で進む。

りんくうタウンがみえて、こんなところまで走ってきたんだなぁ、と密かに感動しながらもまだまだ先は長い。やっと一岡神社(47.0km)を通過。次に目指すは、チェックポイントにもなっている山中渓駅(53.8km)だ。この山中渓を目指すあたりから、ますます街道らしい道になり、それと同時に少しずつ上っていく。

山中渓駅のすぐ手前で服部さんの応援にきたという松原さん夫妻がエードを開いてくださっていた。この松原さんご夫妻は、11日間かけて熊野街道を全部歩かれたらしい。そんな話をききながら、紅茶、どら焼き、マフィンなどたくさんの美味しそうなお菓子にみかん、遠慮なくいただいてしまう。ご馳走さまでした。

このエードからちょっといったところで山中渓駅があり、ここで先行グループの玉本さん、山田(慎)さん、シューさんと合流。3人は店に入ってアルコールチャージをしていたようだ。時間のない私達は、関根さんがお店に頼んで用意しておいてくださった大きなオニギリをいただく。さっき、松原さんご夫妻のエードで色々いただいてお腹は満足してたのだけど、このオニギリ、まだ握りたてほやほやでとても美味しそうだったので、食べずにはいられなかったのだ。

ここから少し緩やかな上りが続き、峠を上り切る手前で『和歌山市』の標識。大阪から和歌山まで走ってきたんだ、、と感動しながら今度は下り。急なカーブを抜けて山口王子(エード休憩)を経て川辺橋(63.3km)へ。川辺橋にかかる頃には日が暮れてきた上、少し時雨てきて皆のペースがあがる。またもや、玉本さんが先導し、山田(慎)さん、シューさんが続き、少し遅れて服部さん、マッちゃんと私(Wanda)は阪本さんの道案内のもとついていく。

川辺橋(紀ノ川)を渡り終えるとすぐ南に入る小さな道があり線路を渡る。阪本さんの先導(案内)がなければ、道に迷ってしまいそうなところだ。この頃になると、とっぷりと日が落ちて真っ暗。ここから小さな峠(塩の谷)を越えるのだが、日が落ちてきたので山越えはやめてトンネルにしますか? と阪本さんに聞かれる。山道(正規ルート)をいくと、時間がかかって迷惑をかけてしまうかもしれないが、やっぱり熊野古道を行きたい。というわけで、4人は熊野古道通り進むことにする。

山への入り道は、なにげないところにあり見落としてしまいそうだ。先行グループは道に迷わずちゃんといってるんだろうか?塩の谷を抜けて町にたどり着き、伊太祈曽神社手前のローソンでサポートカーに合流。玉ちゃんグループの3人は未だ到着してないようだ。やっぱり道に迷ったんだろうか。判り難かったからなぁ。しかし心配は無用。エードでくつろいでいる間に程なく追いついてきた。

ここから今日のゴール(海南市)まで残り約9キロ。また皆で一緒に走る。かすかな上りを終えると眼下に海南市の明かりが広がった。あの明かりまで走れば今日のゴールだ。皆のペースがアップする。村井さんのお迎えを受けて19:40頃、ビジネスホテル『シンプソン』に到着。
あ〜、やっと着いた。着いた。1日目、全員揃って無事終了。宿は、ビジネスホテルだがまるで民宿みたい。暖房のきいた畳の部屋で快適な上、洗濯機や乾燥機も備えられており大変助かった。夕食はホテル近くの中華料理屋で丸テーブルを囲んでかんぱ〜い。夕食後、近くのコンビ二で明日の朝食を仕入れて、入浴 & 洗濯を済ませておやすみなさ〜い。


■12月30日■

午前5時40分。朝の冷込みはきびしいが覚悟をしていたよりかは、はるかにマシだ。そして今日もお天気は良さそうだ。長袖のランシャツに黄色いウィンドブレーカーだけで十分みたい。少し疲れは残っているけど、それでもお風呂に入って疲れを癒し、暖かい部屋で布団にくるまり脚を伸ばして寝たお陰で、昨日80キロも走ったとは思えないぐらい身体が回復していることに感動していると、若干1名、疲れも寒さも感じないような人物がいることを発見。山田(慎)さんだ。この朝の冷え込みの中、長袖のランシャツ1枚で昨日の疲れも全く残っていないようだ。この人はサイボーグなんだろうか???

冗談はさておき、ナビ関根さんによると今日は4つの山越えが待ち受けているという。昨夜のホテルから1キロほどいったところの藤白神社から一つ目の山越えだ。急な上りが続く。急なのぼりではあるが気持ちがいい。この上りの途中で空が僅かに薄明るくなってきた。のぼりの途中、景色が広がったところで下を見下ろす。海南の町の明かりが小さく見える。やっとのことで一つ目の上りを終えると小さな神社があった。夜もすっかり明けた。ここから、みかん畑の合間をくだっていく。みかんは朝の冷え込みの中できゅっと冷えて美味しそうだ。昨日のロードと打って変わり、古道の雰囲気ある道が続く。
『みかん、美味しそうですねぇ』とWanda。暫く下ると、玉本さんが『これ、どうぞ』とみかんを半分分けてくださった。冷たくて甘くて美味しい。

『どうしたんですか? このみかん。』
『Wandaさん、食べましたよねぇ〜。wandaさんも共犯ですよ。』いやぁ、恐れ入りました。玉本さん。

下り切ったところの橘本橋のところでサポートカーとご対面。暖かいコーヒーをいただく。これにて一つ目の山越えは終了。意外と簡単だったのでホッと一安心。

ここから緩やかな上り基調の川沿いの道を進む。最初は緩やかな上りだったが次第に勾配がきつくなる。どこまで上るんだろう。こんな凄い坂道あがるの? と思うようなところをあがっていく。もう完全に歩きモード。やっとのことで上り終える。きつい上りだったが気持ちいい。林道のようなところを走り歩き途中からまたみかん畑の合間を下る。また、後ろからみかんのお裾分けがまわってきた。今度は拾ったものらしい。というわけで、みかん泥棒じゃありません。さらに下りの途中でみかんの無人販売を見つけて、マッちゃんが購入。小さなみかんが袋にどっさり入っている。かなり小ぶりのみかんだが甘さたっぷり。美味しい。さすが、みかんの産地、有田市だ。

有田川の手前で完全に下りきったところで、サポートカーが待っていてくれた。ここに九十九王子を順に記したプレートを埋め込んだ案内図があり、村井さんによると本当に99あるらしい。

ここから有田川を渡ったところにある『くまの古道歴史民族資料館』によってみよう、ということになったが残念ながら休館日。仕方がないので先を進み、本日3つ目の山越え、糸我峠越えに入る。上りに入るとすぐに汗がじわっと滲み出る。峠を上りきる手前に『ヤッホーポイント』があり、そこからちょっと昇ると峠の頂だった。昔は峠の頂に2軒の茶屋があったようで茶屋の風景画と道標がある。意外と短い峠越えにほっとしながら、ここで玉ちゃんとツーショット。

峠を越えて湯浅駅を横切り、国道42号線と平行した道を縫うように進む。途中、国道を逸れたところで山越えに備えてのエード。エネルギー補給に肉まんをいただく。村井さんがお腹に抱きかかえてくれていたのでほっこり暖かく幸せな気分になる。給油を終え、本日4つめの山越えに向かう。これにて本日の山越えは終わりのはず。しかしこの山、長い。どれだけ上ったのだろう。やっとのことで峠に到着。ぽかぽかと暖かいので皆でみかんを食べたり、写真を撮ったりして休憩。しかし、余りゆっくりしてはいられない。すでにお昼を過ぎているにもかかわらず本日の距離の半分も終えていないのだ。ここで峠は終わりとはいえ頑張らなくっちゃ。

長い下りを終える手前で『関根茶屋』(サポートカー)を発見。トイレがあり駐車スペースはあるが、よくこんなところまで車があがってきたと思えるような地点である。御餅を焼いてお茶漬け海苔とお湯をかけたものをいただく。これが旨い。昔、私の母親がよくこれを食べていたが、その美味しさを認識する。

ここから更に少し下ってようやく山とおさらば。次のチェックポイントである法林寺(42kmぐらいの地点?)を目指してシューさん、山田さんのペースがあがる。私も調子に乗って一緒にペースアップ。しかし、このペースアップは私には失敗。法林寺まではよかったけど、そのあと脚が思うように動かなくなってしまった。みんなはますます快調に飛ばしていく。

法林寺を越えて1時間ちょっと走っただろうか。御坊市に入る頃、目の前にぱっと海が広がった。ここからは海沿いの国道に出たり入ったりしながら午前中とは違った雰囲気の道を進む。海岸沿いのせいか、夕刻が近づいてきたせいか、少し風がでてきて冷えてきたが海岸沿いの道は気持ちいい。

印南駅あたりでマッちゃんに追いついたので、日が暮れてきたら一緒に走って欲しいとお願いする。明るいうちはいいが、日が暮れたら一人では不安だもの。日が暮れてきてからでいい言ったのに、ここからマッちゃんが一緒に走ってくれた。法林寺までの分不相応のペースアップの罰があたったのか脚が思うように動かない。この先の『切目駅』にてお別れの玉ちゃんこと玉本さんにお別れが言いたい。皆とは距離が少し開いてしまったけど頑張る。

午後5時少し前、やっと切目駅に到着。玉本さんは???? と探すと駅で時刻表のチェックを終えて出てこられた。やった、間に合った。皆にも追いついて、玉本さんにも『さよなら』を言うことができた。これでまた一人減って淋しくなる。と同時に周りは薄暗くなりかけてきている。今日のゴールまでラスト20キロだ。

ライトをいつでも取り出せるように準備してスタート。切り目駅の下をくぐると、またもや山道へ。切目駅を出たときは、みんなで一緒にスタートしたのに、あっという間に差が開く。この山道は、地図でみると僅か3〜4キロ程度なのに長く感じられた。ようやく山を抜け、再び海岸沿いの国道へ。ここで、関根さんからこの先、国道を逸れて旧道に入る区間があるが日も落ちて危ないのでずっと国道を走るように言われる。歩道のない走りつらい道が続く。

国道沿いで干物屋を見つけて、マッちゃんがいわしの干物を購入。
梅の産地、南部を過ぎたところでサポートを受け、お味噌汁をいただく。そのあと2キロ程走っただろうか。ようやく鹿島神社に到着。時刻は午後7時。残り10キロだ。

この鹿島神社から2キロほどいったところから、しばらく国道より一本内陸の道を行くのだが、内側の道にそれてから少し走ったところでさらに内陸のほうに誤って曲がってしまったようで、ずいぶんと間違った道を行過ぎてしまう。道を尋ねようにも民家もなければ車も通らない。間違えているようなので元の分岐のところまで戻る。皆から遅れているのに道を間違えたことで時間をロスして気持ちが焦る。マッちゃんとも喧嘩モード。Wandaが先、マッちゃんが少し距離を開けて後ろから走る。

あと3キロほどの地点のモスバーガーで村井さんが待っていてくれた。サポートカーを降りて私達と一緒にゴールまでの3キロを走るために待っていてくれたという。ずいぶん待たせてしまってごめんなさい。今日の宿近辺は少し判り辛いところのようなので、村井さんが説明してくれて3人で一緒にゴールを目指す。会津川のところまできて、地図を確認するがよくわからない。とりあえず、会津川沿いに走ってみる。比較的大きな交差点らしきところでまた地図を確認。私達二人より元気な村井さんがあたりの様子をみにいってくださった。ようやくホテルの上に灯る看板を発見。時刻は8時50分。とても遅くなってしまった。

8時55分、いや、もう9時というべきだろう。やっとホテル到着。関根さんが車のところで待っていてくださった。遅くなってすみませんでした。そして、村井さん、モスバーガーからの3キロを先導ありがとう。長い1日だった。途中、脚が思うように動かなかったり、僅かな距離が長く感じたり、ラスト10キロを切ってから道に迷ったり、、、。気持ちが滅入ったこともあったけど、みんなに助けてもらって何とか無事ゴールまでたどり着けた。

時間がないのですぐ食事に行くことになったのだが、私達が遅くなってしまったことでホテル近辺の食事ができそうな店は全部閉店してしまっている。仕方がないのでコンビ二で各自、本日の夕食と明日の朝食を仕入れてホテルに戻って食べることに。幸い、ホテルのロビーに椅子とテーブルがありそこでみんなで一緒に食べることができた。余りのんびりはできないものの各自仕入れたビールを片手に乾杯。こんな夕食も楽しかったけど、でも、やっぱり皆にはかなり悪いことをしてしまった。ごめんなさい。

この夜は完全個室(シングルルーム)。ベッドに組み込まれた目覚ましと携帯の目覚ましをセットしてばたんキュー。


■12月31日■

New Year's Eve。大晦日だ。午前4時40分起床。さっとシャワーを浴びて身体を目覚めさせる。朝食を済ませて用意をして早めにロビーに降りると、ホテルの朝食(バイキング形式)が用意されていてみんな美味しそうに食べている。こんなことなら、私も部屋で食べるんじゃなかった。でも、もう食べ物を入れる隙間は胃袋にはない。仕方なくコーヒーだけいただく。

今日はいよいよ本格的な熊野古道(中辺路)に入る日だ。大体世間一般的な熊野古道のツアーというものは、ここ田辺から中辺路を歩くのだ。身体の疲れは溜まってきているものの楽しみに胸が膨らむ。

昨日、時間がかかったので滝尻までの13キロほどは正規ルートを行かずに車道をいくことにする。正規ルートをカットするのは残念だったがこれは賢明な作戦だった。この日もゴールは20時になってしまったのだ。

山が得意な村井さんが、この日から復活して一緒に走ることになる。
午前6時少し前にスタート。最初はゆっくりだったが、阪本さん、山田さんが先頭で徐々にペースアップ。昨日はちょっと調子が悪そうだった阪本さんの復活ぶりにシューさんと驚く。RAA(Runxusa)を走りきった強さを目の当たりにする。パワーを貯めていた村井さんも恐るべしだ。シューさんと一緒にぐんぐん走っていく。登りは得意種目だときいていたが、本当にすごい。ぜんまいじかけの人形のようにとことこと進んでいく。服部さんと山田さんも快調な走り。マッちゃんは膝に痛みがあるようで不調そう。私(Wanda)は便秘気味でお腹が重いものの、まぁいつも通り。左足首に違和感(痛み)があるものの、それ以外は筋肉痛も全くなく至って元気である。川沿いの道は風がきつかったが、今日もお天気は快晴。朝の澄んだ空気が気持ちいい。

途中2回エードをしてもらって午前8時45分頃、滝尻へ到着。正規ルートをカットして車道を走ってきたとはいえ、まずまずのペース。少し遅れているマッちゃんを待ちながらガソリン補給。ここから、憧れの熊野古道(中辺路)に入るのだ。13キロ先の近露までは完全な山道となるのでサポートは受けられない。少し遅れて8時50分頃、半泣き状態のマッちゃんが到着。膝が痛いようでびっこをひいている。昨日はあんなに快調だったのに、、、。とにかく、ここでマッちゃんがサポートカーに乗ることになった。

入り口の神社で写真を撮り、いよいよ中辺路へ。
乳岩(胎内くぐり)、不寝王子と急な登りが続く。ここに至るまでにも昨日の4つの峠越えなど熊野古道らしきところがたくさんあったが、滝尻からの山道はさらに古道らしさを増す。マッちゃんも一緒に歩けたらよかったのにな、と思いながら歩く。急な登りは一段落したようだが、それでも登りは続き、走れる区間は殆どない。これは私にとってはありがたいことだ。堂々と歩けるのだから。

村井さんは絶好調のようで阪本さんに迫る勢いで歩いている。私も遅れがちながら頑張ってついていく。滝尻から500メートルごとに立てられている道標の番号が確実に進んでいっている。高原熊野神社を過ぎたところにぱっと開けた休憩所があり、ここでトイレ & 飲料補給休憩。よく考えてみればお金を取り出して自分で何かを買うのは初めてだ。ここまではずっとサポートカーのお世話になっていたのだ。暖かいミルクティーをすすりながら、すばらしい眺めに感動。シューさんは眺めに感動しながらもGPSチェックに余念がない。

村井さんは『こんな山道がずっと続けばいいのに、、』と恐ろしい台詞。
休憩を終えて再出発。また急な登りが続く。このあたりは、昔は旅籠があったようだ。こんなところを昔の人々はよく越えていったものだ、と思いながら先を進む。大門王子だったろうか。11時頃だったと思う。関根さんのお迎えを受ける。反対側に車を置いてアクエリアスを持って逆走してきてくださったようだ。ここからもうひと登り。そのあと下り基調の道が続き、12時15分頃、大阪本王子を下ったところの道の駅に到着。道標の番号は26番を超えたところ、滝尻から13キロだ。

この道の駅で昼食休憩。外も暖かいのだけれど、食堂に入り椅子に腰を下ろして休憩できるのはありがたい。うどんを食べて、みんなより一足先に出発させていただくことにする。ここからマッちゃんも復活。午前中の脚の痛みは何だったの?

道の駅から少しいったところの近露というところで川があり、その川の橋の向こうで誰かがこっちの方をみている。橋を渡り終えると応援にきてくださった方だということがわかった。

『ひょっとして横井さんでしょうか?』と間抜けな質問。
『みんなは? もう少し早く来るかと思ってましたよ』
『今、そこの道の駅で食事をしてきたところです。もうすぐみんなきます』

安田さんが言われていた通り、新宮から車で応援にきてくださったのだった。みかん、味噌汁、お菓子、コーラ、アクエリアスといろいろなものを用意してくださっている。お味噌汁が美味しそうだが、今はちょっと喉を通りそうにない。お菓子をいただいていると、みんなも追いついてきた。

『次は、この先の小広峠で待ってますから。』という言葉に背中を押され先へ進む。ここからは小広峠まではアスファルトの舗装路が多かった。最初に、急坂があってきゅっとひと登り。そのあとしばらくいくと風情のある茶屋があった。『とがの木茶屋』という茶屋で100 mile clubのホームページでも写真が掲載されていたところである。写真で見て行ってみたいと思っていた茶屋が目の前にあることに感動。阪本さんに取材されたときのことなどをききながらみんなで記念撮影したのは言うまでもない。暖かで柔らかい日が差してなんとも気持ちいい。お抹茶などをいただきたい気分だが先を急ぐ。

緩やかなアップダウンの舗装路が続く。またもや関根さんの逆走によるお迎えを受け、最後に山道へ戻り、やっとのことで小広峠に到着。先ほどの言葉通り、横井さんが待っていてくださった。コーラとお菓子をいただいているうちに、全員到着。

ここからまた発心門王子まで約10キロ程の山越えだ。ここで村井さんが再びサポーターに転身。近露以降、ここまでのアスファルト道にまた痛みがでてきたようだ。私の左足首の痛みも増してきているようだがいけないことはないだろう。横井さんに御礼をいって、また山道へ入る。どうして登りの最初はこんなに急なのだろう。ひと登り終えてからも結構なアップダウンが続く。かろうじて見えていたシューさんの背中も完全に見えなくなってしまった。途中完全な一人旅となってしまったが、下りで少し頑張りみんなに追いつくことができた。シューさんは、完全に離れてしまった私がすぐ後ろにやってきたことに驚いている。このあとも、登りになると集団から遅れ下りで追いつく、ということを2〜3回繰り返しただろうか。

最後に緩やかな登りがあって、みんなが手招きしながら叫んでいる。
『早く来ないとなくなるよ〜』
『えっ? 何があるの?』
『たこ焼き、たこ焼き』

サポートカーが暖かいたこ焼きを持ってきてくれてたのだ。たこ焼きに誘われ登りきって、発心門王子に午後5時到着。薄暗くなる直前だ。ここまではなんとか日が落ちる前に抜けてしまいたいところだったので、とりあえず一安心。暖かいたこ焼きに身も心も元気になる。

ここから本宮大社まで5キロ程。本宮大社から今日の宿であるクアハウス熊野本宮までが4キロちょっと。合計10キロ。もう山道も殆どないよ、という言葉にほっとしながらも、夕闇が押し寄せてきたので先を急ぐ。途中、NHKの朝ドラのロケ地(山中木の葉の家となったところや木の葉の森)を通り、再び山道へ。

もう真っ暗になってしまってライトがないと進めない。滝尻から続いてきた道標番号は70番台になっていた。疲れと暗さの中、予想外の山道は長かった。左足首の痛みも最高潮に達している。おまけに途中でライトの電池切れ。気持ちが焦るのになかなか進まない。

途中、すぐ前をいく服部さんが木の根に脚をひっかけて派手に転倒。気持ちを引き締めて一歩一歩、ゆっくりと進む。ちらちらと時計に目をやりあとどれくらいなのだろうか? と思う。6時半ころには本宮につけると思っていたのにちょっと甘かったようだ。ようやく石段を降りきって、本宮大社の裏にでてきた。そこからどういったのかあまりちゃんと覚えていない。もう脚の痛みに記憶も途切れ途切れだった。

ようやく本宮大社の表に到着。時刻は7時。あと5時間で新しい年が明ける。本宮大社前の参道は、初詣客のための屋台の準備にとりかかりつつあった。5時間後には、大勢の人でにぎわうのだろうな、と思いながら皆で記念撮影。みんな、発心門王子から本宮大社までの道程につかれきっているようだったが『あと4〜5キロ。頑張って。』という阪本さんの声と先導で再び走り始める。

なんと今日の宿は午後8時までに入らないとお風呂に入れないらしい。もう、脚が痛いとかいっている場合じゃない。とにかく進まなくては、、、。ここからは本当に車道だ。シューさんはGPS片手に時々GPSでの残り距離を皆に告げながら、走っている。

トンネルを抜けてしばらくいくと宿泊地の明かりが見え、もう少し近づくと、湯煙も確認できた。急な階段を降りて、吊橋を渡って全員一緒に無事ゴール。

時間がないのでまずはお風呂。お風呂にいって靴下をぬぐと左足首のくびれがない。足首全体がパンパンに腫れあがっている。何がどうなっているのかわからないけど痛いはずだ。お風呂に浸かって足首には水をかけて治療。最高のひとときだ。お風呂をあがると夕食は、関根さん、村井さんが準備してくださったお鍋にもちろんビールも。バンガローでコタツに入り、至福のひととき。最高に贅沢な年越しだ。


■元旦■
ばたばたとする音で目覚める。なんと寝坊だ。大きな寝坊ではないが、全員そろっての寝坊か。なかでも私が一番の寝坊らしい。慌てて起きてバタバタとご飯を食べる。朝食は関根さんが仕入れておいてくださったパックに入ったお寿司。身体が重たく、左足首はくびれがなくなりパンパンに腫れたまま。真っ赤。村井さんから湿布をもらって、ぺたんと貼る。ひんやりして気持ちいいけど、痛みはひかない。しかし、大阪の天満からここまで走り歩きしてきて、残り50キロ弱。ここでやめたくなんかない。大急ぎで用意をする。
6:15am
バンガロー出発。予定の出発時間より、ちょっと遅れての出発となった。

昨夜、下った階段を登って車道へ。最初は昨日、走ってきた車道を戻る。大日山トンネルを抜けて国道168号線で右折。国道沿い(川沿い)に1キロ半ぐらい走っただろうか。サポートカーが停車している。小雲取越えの入り口だ。
スタートしたときは暗かったが夜がすっかり明けて明るくなっている。今日も天気は良さそうだ。

ここから、また山道(登り)。小さな溜息をついて一番後ろからついていく。
阪本さんは、いつものように安定したスピードでのぼっていく。速くはないけど遅くもない。慎ちゃんは疲れ知らず。シューさん、絶好調。村井さんは山道に入って水を得た魚みたい。服部さんも調子よさそう。マッちゃんもはしゃぎながら、写真を写している。時々、後ろを振り返って、ワンダのことを気にかけてくれているが、有難さ半分、やりきれない思いが半分。ワンダは脚首の痛みが最高に達していて、僅かな段差も悲鳴もの。マッちゃんが振り返ってくれるのが嬉しいけど、『ほら、見てみ、めっちゃきれいで、、、』と言われても、頷くのがやっと。

小雲取越えは、最初にぐっと登ってしまって、ある程度登ってしまえば、かすかなアップダウンの続く気持ちのよい土道が続く。木々の間から陽が差して気持ちいい道。みんなからの遅れを少しでも小さくするため、一生懸命、走るけど、それでもぐいぐい離れていく。脚首の痛みさえなければ、、と思って、涙がでてくる。小さなアップダウンを繰り返しながら暫く走ると車道に出た。車道を横切り、少し走ると休憩所。休憩所といってもベンチがあるだけだけど、みんな座って寛いでいる。みんなに混じって一緒に休みたかったけど、休めばまた遅れてしまう。少しでも先に行こう。ゆっくりでも歩いておこう。

『すみませんが、遅いから先に歩いてます』と小さな声で断って、休憩所をやり過ごす。休憩所からも気持ちの良いトレイルが続いたけど、とにかくできるだけみんなより先に進んでおこうという気持ちが一番。楽しんでいる余裕は、はっきりいって余りなかった。ここを歩いているときに、女性二人(わりと若い女の子)が逆から歩いてきた。軽く挨拶をしてすれ違う。どこから登ってきたんだろう?

休憩所から暫く走ると、ぱっと視界が広がるところに出た。桜茶屋跡だ。そこから下りが始まる。転ばないように気をつけていく。まだ遠い感じだけど、後ろからマッちゃんの笑い声が聞こえる。少しでも先に進んでおかなくちゃ。

小和瀬の渡し場跡まで、なんとか皆より先に下りきった。小雲取越え終了である。渡し場跡で関根さんと横井さんが車を停めて待っていてくださった。

『あれ、みんなは?』と関根さん。
『もうすぐ降りてくると思います。私、遅いんで、みんなが休憩所で休んでいる間に先にきました。』

時刻は9時25分くらい。3時間かけて小雲取越えをしてきたことになる。横井さんは、昨日(大晦日)も有難かったが、今日も元旦だというのに朝早くからありがたい。感謝しながら、秋刀魚寿司をいただいていると、皆が降りてくるのが見えた。村井さんは下りがきつそうだけど、なんとか下りきってエードに到着。いっきにエードが賑やかになった。コーヒーをすすりながら次に待ち受けるコースについて関根さんと横井さんから教えてもらう。

大雲取越えという山越えだそうだ。それを越えると那智。ここから那智まで5〜6時間あれば越えられるということだ。那智大社までの距離は約15キロ。
それって、時速3キロ?? どんな山越えなの??? 

関根さんが昨夜言ってった言葉を思い出す。
『明日は、順調にいけば那智に3時頃、到着するよ。』

昨夜は、本宮まで到着した喜びと疲れ、そしてあと1日だけ、しかも明日はわずか45キロぐらいだ、少しはラクなんだろうな、と漠然と考えていて、那智がどこにあるのかもよくわかってなかったのだ。だんだん、今日の道の大変さが理解できてきた。どれだけ大変かって? 
関根さんが朝6時にスタートして那智到着が3時って言ってたってことは、30キロを9時間かけていく、ってことなのだ。

大変さが理解できたと同時にお腹が満たされたのでエードをあとにする。
大雲取越えの登り口まで約1キロぐらい車道を走る。僅かにのぼり基調。

村井さんは、ぜんまいじかけのお人形さんみたいに、とことことのぼっていく。
シューさんも同じ感じでついていく。服部さん、村井さん、シューさんが一番に山に入る。続いて阪本さんと慎ちゃん、私達(マッちゃん&Wanda)が最後。

急な登りが続く。めちゃくちゃ急というわけではないが、果てしない登りが続く。私達の前をいく阪本さんと慎ちゃんの背中が、ぐんぐん登って行ってる。
平らな道はないのか? この登り道には、、、。さらに進むと、茶屋跡など、僅かに平らに近い部分があり、そのあと、また気の遠くなるような登りが続く。苔むす岩に木々の間を抜けてきた太陽の光があたってめちゃくちゃきれいなところと日が差さず、鬱蒼とした深い緑のところが交互に続く。マッちゃんは元気ではしゃぎながら、Wandaの少し先をぐんぐん登っていく。昨日の朝、歩けなくてサポートカーのお世話になったマッちゃんは何処へ行ったの? 羨ましい程に、はしゃいでいる。Wandaは、時々、立ち止まって果てしなく続く登り道を見る以外は、地面に目を落とし、ふぅふぅ、はぁはぁ。そんなWandaの姿を前から、後ろから、マッちゃんは写真に収めてくれている。

だいぶ歩いただろうか。越前峠まで2キロちょっとの標識。あと2キロちょっと。頑張ろう。しかし、ここからの2キロは半端じゃなかった。胴切坂と呼ばれる凄い登りが待ち受けていたのだ。まるで、天まで登れそうな階段が続く。

胴切坂
※世界遺産登録を機に2005年5月撤去されました。

理由は世界遺産に登録されてから増えたハイカーや町外の語り部らから、鮮色された看板が世界遺産にそぐわないという声が出たため。一方で、この道標に愛着を持っていた地元住民や古道愛好者らからは撤去を惜しむ声もあったそうです。
この道標は、1997年から2004年まで8回開かれた「熊野古道走・大雲取越えスパルタマラソン」のキャラクター「古道くん」がモチーフで熊野古道の中でも最大の難所である胴切坂を走る参加者を元気づけようと、大会スタッフであり木版彫刻家の作者が手作りしたもの。

どれくらい時間がかかったのだろう。たった2キロなのに果てしなく遠かった。
ちょっと前まで見えていた阪本さんと慎ちゃんも見えなくなってしまった。
みんなからだいぶ遅れてしまったみたい。

ようやく越前峠に到着。本当に長い2キロだった。

ここから下りだ。普段なら登りに比べれば下りはありがたいのだけど、今は下りも辛い。右足首を庇って、そろそろと降りる。どれくらいの距離と高さを下ったのかわからないが、ようやく開けたところにでた。那智山まで約8キロの看板。ここからは、少し舗装路での登り道。それから、また山道へ。
山道に入っても登りが続く。僅かな登りだったけど辛かった。

みんなとはどれくらい離れてしまっているんだろうと気持ちが焦るがスピードは出ないどころか、どんどん歩みが遅くなっていく。

途中でまた舗装路へ出た。そこで、関根さんと横井さんのエード。
コーラをいただく。

『他のみんなとはだいぶ差がありますか?』とWanda。
『うん、そうだね。20分位開いているかも。』と関根さん。

ここから先、展望台があってそのあと那智高原らしい。
越前峠を下ったところで那智まで8キロの標識だったから、もうそんなに長くないと思うのだけど、でも、長い。
ようやく頂上らしきところに到着。ここから下りモードだけど、途中僅かなアップダウンがある。そして、最後にぐっと下り。乾いた砂道。
下りきって、視界が開けたところで、関根さんのデリカが待っていてくれた。午後2時過ぎだった。エードで少しお世話になったあと高原公園にある喫茶店へいくと、他の皆がいてた。

もうゴールまで会えないかも、と思っていた皆にあえて、ほっとする。
でも、右足首の痛みは本当に半端じゃない。

みんなカレーとか食べていたけど、食欲も出ないのでWandaはコーヒーだけ飲んだ。
ここの喫茶店は、注文してから出てくるまでに時間がかかり、随分と長居をする羽目になった。

ここで今日中に東京へ戻らなければならない服部くんがお別れすることになる。
服部くんだけ先に出発することになった。頑張れば夕方までに新宮に到着できるかも、ということで、先にいくことになった。

午後2:30頃だっただろうか。もう少しあとだったかもしれない。
ようやく皆が注文した品を食べ終わり、喫茶店をあとにする。
1キロほど下って、那智大社に到着。午後3時だ。
サザエさんのオープニングで見るような風景(那智の滝)が見える。

折角なので、階段を下りて下までいくことに。でも、下りの辛さといったらもう悲鳴しか出ない。あまりにも辛かったら、上で待っていてもいいよ、と阪本さんが言ってくださったが、折角なので皆と一緒に行きたい。
下まで降りて、脚に線香の煙を浴びせる。少しは那智の神様が助けてくれるかもしれない。

滝見物とお参りを終えて、再び階段を登り元の道に戻る。午後4時過ぎ。
遅くなってしまった。車道を下って那智駅を目指すことにする。
那智駅まで6キロくらい。そんなに遠くない。

那智大社へ続く車道であるため、車がすごい渋滞。その横を歩いてくだっていく。皆が歩いている間はついていけたが、急な下りが終わって走り始めた頃から少しずつ皆についていけなくなり、遅れ始めた。少しずつ、皆との距離が開いていく。なんとか皆の小さくなる背中を見ながら、歩きと走りを繰り返すが
どんどん差が開いていってしまう。尼将軍手前で舗装路を登っていく皆を見たのが最後になった。そこまでは、まだそれほど距離が離れておらず、舗装路を登る途中で少し後ろにいる私たち二人に阪本さんが手を振ってくれた。

私たちも少し遅れて登り始める。20メートルほど登るとすぐにU字に右にカーブしていくが、そのカーブを曲がり終えると皆の姿は消えていた。どこに消えてしまったのだろう? と思いながら、進んでいくと熊野古道、尼将軍の案内板(標識)が。標識の通りに進むとどんどん道が細くなり、やがて舗装路から細い土道へ。暫く進むと尼将軍らしきところにたどり着いた。
しかしそこからが大変だった。道が二つに分かれているのだ。どっちにいったらよいのかわからない。標識も何もない。看板があるところには溢れるほどに看板があるのに、ここには一つもない。少し進んでみるがあっているのかどうかわからない。どんどん道がなくなっていくようで、こっちとは思えない。

脚が痛くて動けないWandaのためにマッちゃんが少し先まで見に行ってくれた。
暫くしてマッちゃんが戻ってきた。どうもこちらではないらしい。尼将軍まで引き返す。日暮れが近くなり気持ちが焦る。どうして、あの舗装路のところで皆についていけなかったのだろう、と思う。少し頑張れば、ついていけたかもしれないのに。今更、悔やんでも仕方ないが悔やむ。尼将軍まで戻ってもう一本の道をいってみる。竹やぶみたいなところがあり、相変わらず案内版はない。
この道で合ってるの? と不安でいっぱいになる。そろそろライトが必要な時間だ。この先、どれほどこの竹やぶみたいなところが続くのだろう? 目の弱いマッちゃんには辛いかもしれない。どれくらい進んだのかわからないが不安でたまらなくなり、引き返して車道を行こうとマッちゃんに提案する。

結局、皆が消えてしまったU字のカーブのところまで戻り車道をいくことにする。戻ることによる時間のロスは仕方ないが、確実に那智駅にいける。

車道にでてからも何度も不安になりながら進んだ。すっかり日が暮れてしまった。午後6時、ようやく那智駅到着。お腹が空いたのでもっていたパンをマッちゃんと分けて食べる。余りゆっくり休んでいる余裕はない。残り約15キロ。
脚が元気なら2時間くらいあればいけるのだろうが、今のこの脚では何時間かかるだろう。皆はどこまで行っただろう? ここからも古道は、車道だけでなく山へ入ったり、海岸を走ったりするのだが、もう日が暮れて危ないため、新宮まで全て車道を走ることにした。前にいる4人(阪本さん、慎ちゃん、シューさん、村井さん)も車道を進んでいるということだ。マッちゃんに前を走ってもらいWandaが後ろをついていく。

『あの看板まで頑張って走る』
『歩く』
『あそこまで歩いたら、また少し走るわ』
『走る』
『歩く』
『走る』

後ろからWandaがマッちゃんにしたいことを叫んで、マッちゃんが従う。
少し走っては歩き、歩いては走る。何度、それを繰り返しただろう。
時折、どれくらい進んだのか、あとどれくらいでゴールなのか確かめるために地図を見る。電柱にある地名などをみていくが、なかなか進まない。

途中で関根さんが皆とどれくらいあいているか教えてくれた。そろそろ皆はゴールだという。午後8時だった。私たちは何時にゴールできるだろうか?
とにかく頑張ろう。また、走ることと歩くことを繰り返す。

午後8時20分、ようやく熊野速玉大社到着。ずいぶんひっそりしていた。
昨日(大晦日)の夜ならもっと賑わっていたのだろうか? と思いながら社殿へお参りする。お参り後、お守りを買って、阪本さんに電話を入れる。

熊野速玉大社にいるので、今からホテルに向かうと。

ホテル手前の駅のところで、みんなが出迎えてくれた。みんなご飯を食べずに私たちのゴールを待っていてくれた。涙がでてきた。初めてのジャーニーラン。
3日目から腫れた右足首が辛くて辛くて、正直、最後は楽しむことができなかった。ただ淡々と最後までいくことだけを考えた。

那智で脚が痛くてたまらなかったとき、車に乗ることも考えたけど、走ってきてよかった。頑張ってよかった、と思った。

そのまま、駅前の焼き鳥屋へ。メニューの端から端まで注文する勢いで注文。時間の関係で、古道をカットし車道を走った部分もあったが、無事全ての行程を走り終えたあとのビールは最高だった。


------------<番外編>-----------

お腹を満たした(満たしすぎた)あと、ホテルへ。駅前のビジネスホテルでした。シャワーを浴びたあと、一枚目の地図から見返していたが、そのうち重くなる瞼に勝てず、寝てしまった。

翌朝起きると、右足首は倍くらいに大きくなっていました。

みんなで駅前でウドンを食べて、それから、熊野速玉大社へ改めてお参りにでかけました。社殿で記念撮影。そのあと、関根さん、阪本さん、シューさんは伊勢編へ。村井さん、慎ちゃん、マッちゃん、Wandaはホテルに戻って荷造りをして、10時過ぎ頃の電車(オーシャンアロー号)で大阪へ戻りました。

途中、山中渓など走ってきたところを通りました。4日かけて泣いたり、笑ったりしながら、走ってきた道程は、電車で4時間でした。

The End




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